
神奈川大学女子サッカー部出身の私は、在学中部活の練習を中山キャンパスで行っていました。サッカーグラウンドの周りには1周400mの陸上トラックがあります。その周りをとんでもないスピードで走り続ける選手たち…。そう、神奈川大学陸上競技部駅伝チーム(以下、神大/神大駅伝チーム)です。大学卒業後入社した日総工産の親会社であるNISSOホールディングスはなんと神大駅伝チームとスポンサー契約を結んでいます。

(本社エントランスに掲示しているユニフォーム)
個人的に不思議な縁がある神大駅伝チームについての歴史を勉強しましたので、同じアスリートとしての思いを入れながらご紹介していきたいと思います。
大後栄治部長 と歩んだ歴史
まず神大駅伝を語るには欠かせない人物、大後栄治 陸上競技部部長をご紹介します。(文内では当時のポジションとして、コーチ・監督と表記している箇所があります)
自身も箱根駅伝出場を目標に競技を行っており、強豪・日本体育大学に進学するも怪我の影響で夢への道は絶たれてしまいます。それでも箱根への想いは尽いえず、マネージャーに転身し選手を支える立場として学生主体のチームをまとめ上げ、大学4年時の箱根駅伝準優勝に大きく貢献しました。
それから3年後の1989年に神奈川大学陸上競技部の長距離専門コーチとして就任。就任後の1992年から4年連続の箱根駅伝出場を果たすだけでなく、1994年には全体7位、翌年に全体6位と神奈川大学駅伝部は大きく躍進しました。
これだけ短期間に成績を残しているのは大後コーチはじめ指導者陣の手腕の凄さがうかがえます。

大後 栄治 神奈川大学陸上競技部 部長(現職)
“ワンチーム”だからこその涙と栄光
そして迎えた1996年の第72大会。順当に出場権を獲得した神大は下馬評で4強に名前があがるも、結果は往路で途中棄権という誰も予想しえない結果に終わりました。それでも大会中は部員誰一人下を向くことなく、来年また箱根を走るために全力を尽くしました。公式には認められないものではありましたが、総合順位で2位につける大健闘で波乱の72大会は幕を下ろしたのでした。
当時の4年生にとってはそれが最後の箱根。どれだけ全力をかけても結果は認められないと分かっていながらも、選手たちはその1走に全てを懸けました。どうして最後まで諦めなかったのでしょうか。
それは監督、コーチ含め選手全員が1チームだったから。
個人としては箱根が終わるとしても、チームの歴史はずっと続きます。その1大会が次の大会に繋がっていきます。私も学生時代ずっと部活動でサッカーをしてきましたが、最上級生の姿勢というのは次の世代に大きく影響します。最後まで諦めず、1つの大会を大切にした72大会の4年生の姿は、次年度も箱根を戦う下級生の模範となったことでしょう。
そんな中、大後コーチはこの第72大会を冷静に分析し次に繋げるため課題を洗い出しました。第72大会の途中棄権の要因は選手のコンディション不良。良い成績を残すには厳しくトレーニングに励むしかないと毎日身体を追い込んだ結果、知らず知らずのうちに疲労が蓄積したのです。これは監督と選手どちらが悪いという話ではありません。全選手のコンディションをコントロールしながら、実力を伸ばすトレーニングを構築する監督やスタッフ。セルフケアを怠っていなくてもスポーツに怪我は付き物です。それを選手が正直に受け止め向き合えるかどうか。監督も選手も勇気が必要なことです。
苦い結果を受け止めた神大駅伝チームはこの経験を糧に黄金時代を築くことになりました。
その始まりとなったのが翌年1997年の第73大会。前年度棄権ながらも2位というインパクトある走りを見せた神大は前評判で4強の1つに数えられていましたが、その期待を超える走りでついに悲願の総合優勝を果たします。創部65年、29回目の挑戦でつかみ取った栄光に地元神奈川は歓喜に包まれました。
優勝したことで王者としてのプレッシャーがのしかかる翌年、大後コーチは監督に就任しました。優勝に大きく貢献した主力の4年生が卒業したものの、これまで作りあげたチーム力は衰えることなく迎えた第74大会。往路で見事な逆転劇を演じた神大は往路優勝の勢いそのまま復路でも圧巻の走りを見せ神大駅伝の歴史に残る2連覇を成し遂げました。大後監督が作り上げた駅伝チームは部員全員で戦うという強い精神文化が根付き、一回りも二回りも大きく成長しました。
再び、栄光へ向かう
しかし、栄光は長く続きませんでした。それが箱根の恐ろしさなのでしょうか。
2連覇を達成し圧倒的な力を見せた神大駅伝部ですが、翌年からシード権獲得することができなくなり、だんだん低迷期に入っていきました。2010年では予選会に敗退し、本選に出場することすらできませんでした。
再び箱根の最前線に戻ってきた時は既に2017年。大会は93回目の開催を迎えていました。チーム力を売りにしていた神大も突出した実力のある選手がおらず、他の大学から突き放されていました。そんな中現れたのが後にオリンピック候補まで上り詰める、鈴木健吾選手。各校の実力者が揃う花の二区で区間歴代8位となる力走を見せ首位で襷を繋ぎました。神大に待望のエースが誕生した瞬間でした。

(鈴木健吾選手)
引用:https://ekiden.kanagawa-u.ac.jp/tracks/episode05.html
エースの活躍と伝統の全員駅伝で総力を尽くした結果、見事シード権を獲得、総合5位入賞でかつての強豪・神奈川大学は復活を果たしたのでした。
大後監督は監督着任直後に箱根駅伝2連覇という輝かしい功績を残しています。しかしその裏ではチーム内外から相当なプレッシャーが重くのしかかっていたことでしょう。スポーツは日々変化するものであり、選手の状態も、スポーツ戦術も毎年アップデートされていきます。時代の変化についていきながら選手を管理していくことは容易いことではありません。チームの伝統を貫きつつ、時代に順応して結果を出した大後監督の想いは新時代を行く、現在の神大駅伝チームにも大きく受け継がれているでしょう。

(2025年度体制で主将、副将、主務を務める選手たち)
引用:https://www.instagram.com/p/DFOpWb_yBIu/
今回は歴史を勉強した感想をコラムにさせていただきました。
次回は実際に神大駅伝チームを取材させていただき、執筆する予定です。どうぞお楽しみに!